| ■第3回 【肉食道-立役者たち】 |
日本人の牛肉摂取量は、一九六〇年には一人当たり年間一・一キロだった。 それが八〇年には三・五キロになり、九〇年には六・一キロに達した。
ステーキ、ハンバーガーなどの一般化もあるだろうが、刺身やスキヤキの ように「薄くきった肉をタレに浸して箸で食べる」という、日本の食習慣
に極めて近い焼肉の浸透が、日本人の「肉食道」拡大にかなり影響してい るであろうことは、想像に難くない。
六〇年代、焼肉は高度成長に合わせて徐々に日本社会に浸透した。当時は まだ牛肉が高値で、家庭の食卓では豚肉が主流だった。そこで、食品会社
が豚肉になじむ「朝鮮風焼き肉のたれ」を発売。七〇年代には牛肉用も好 評になり、焼肉は一般家庭にも広く受け入れられていく。
焼肉のファン層を広げたと言う点では、無煙ロースターの存在も見逃せな い。モウモウたる煙を気にせず女性でも気軽に焼肉店に入れるようになり
デート、接待にと用途も広がった。 この無煙ロースターが売り出されたのは、八〇年三月。開発した「シンポ」 (本社=名古屋市)は、これまでに十万台以上を販売しており、全国シェア
の約半分を占める。七一年に社員三人から始めた同社が、今や年商三十三億 円、社員約百人を抱えるということからも、焼肉が掘り起こした日本社会の
「肉食道パワー」が、どれほど大きいものであるかがうかがえる。
そして、ソウル五輪(八八年)時のコリア・ブームを経て、九〇年代。洗練 された新興焼肉企業群の怒涛のごときチェーン展開が、この業界に地殻変動
を起こしている。首都圏五百店戦略の「安楽亭」、中部の覇者「焼肉屋さか い」、増殖ぶりが際立つ「牛角」などが主人公だ。数百店舗というスケール
メリットをフルに生かした、これら企業の攻勢により、価格競争はすでに、 カルビ一人前参百円レベルになっている。
そのあおりを食っているのが、旧来からの焼肉店だ。出口の見えない不況と もあいまって、競争に敗れ、廃業を余儀なくされる例も少なくない。
そんな中でも、ただ戦々恐々として毎日を過ごしている経営者ばかりではない。 「コリア色」を徹底して薄め、焼肉のファミレス化・居酒屋化で顧客開拓を
目論む大手の戦略を逆手にとり、「民族」へと回帰するコリアンの若手経営 者らが、徐々にだが頭角を現している。
焼肉業は長きにわたり、多くのコリアンにとって、所詮は生業に過ぎなかった。 しかし、この「安住の領域」が大手の攻勢という風雨に洗われて初めて、肉
食道を究めようとの志が芽をふいている。 肉食道の量的拡大は、ひとまず区切りをつけた。 宣言しよう。在日コリアンは近い将来、「焼肉誕生」に続く大きな贈り物を
日本の肉食道にもたらす。熾烈な出店・生き残り競争は、その序章でしかな いかもしれない。 (KEN)
※プロフィール
KEN : ギャラとスコッチをこよなく愛する庶民派ライター。実家は焼肉屋。
[肉食道編の第1段はとりあえずここまで。次回からは若干趣向を変えた話題 をお届けします。肉食道編第2段にもご期待を!] |
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