第9回 【肉食道・番外編 文化は産業より後回しか!?】

 このところの狂牛病騒動に際し、過去の「O157禍」を思い出されている人も少なくないだろう。

  実際、「O157禍」により、焼肉業界は深刻な地盤沈下に見舞われた。日本経済全体の不況突入と時期が重なったこともあり、焼肉店関係者の間では、業界の盛衰の分岐を表すものとして「O157以前」「O157以後」という言葉が使われるくらいだ。 しかしこれが行政不況であるという意味では、「O157禍」よりももっと、今回の騒動とダブるものがある。パチンコ業界の「プリペイドカード禍」だ。

 80年代後半に始まったパチンコのプリペイドカード事業は、在日コリアンの多いこの業界のカネの流れをガラス張りしようと、警察庁が主導したものだった。

  当初、コストがあまりに高すぎるため、パチンコ店はプリペイドカードシステムを導入しようとしなかった。そこで警察庁はカードシステムに対する需要を喚起しようと、パチンコ機と台間玉貸機を一体化させたCR機の普及を後押ししたのだが、一般機に比べ連チャン性を強めたCR機は一部の人々を「パチンコ中毒」へと誘ってしまった。

  結果、主婦が炎天下の駐車場に幼い子供を乗せた車を放置して死に至らしめるというような社会的悲劇を生み、パチンコに対するダーティーイメージを社会に植え付けてしまったのだ。

 ちなみに、射幸性の高いCR機が一般化し、パチンコ店がカードシステムの運営コストを出玉率に反映させたことで、お客が1回の遊技で使う金額が数万円単位にまで増大。パチンコの「ハイリスク・ハイリターン化」が進み、比較的小額で遊んでいたライト・ユーザーが離れるという現象まで起きている。

 ここで言いたいのは、行政は所詮、「業界」というものをカネの通り道程度にしか考えておらず、政策においても、「カネの通り道」としての業界しか頭にないということだ。

 パチンコ機の射幸性を必要以上に高めるということが、エンドユーザーにどんな影響を与えるかなど、まったく考慮されていない。いや、従来の行政指導は、パチンコを「庶民の娯楽」にとどめ置く方向で行われていたのに、「カネの流れの掌握」という政治的目的が出てきたことで、庶民のことなど念頭から消えてしまったのだ。

 狂牛病騒動を報じた週刊新潮10月4日号の記事に、次のようなくだりがあった。少し長くなるが引用する。

 【日本が96年の時点で肉骨粉を全面禁止していれば、狂牛病の発生は未然に防げていたという意見は根強い。ところが、いまだに武部農水相は、肉骨粉の全面禁止に慎重な姿勢を崩さない。なぜか。
 「確かに肉骨粉を牛に与えることで、狂牛病が発生する可能性はありますが、肉骨粉自体が毒というわけではあり  ません」
 と説明するのは農水省畜産部肥料課
 「畜産業では出荷の際に牛、豚、鶏の骨や脊髄など、かなりの量の廃棄物が発生します。この廃棄物を飼料会社が引き取る時に、酪農家には少々お金が入る。酪農家にとっては大切な収入ですし、飼料会社にとっても大切な原料。もし肉骨粉の全面禁止を行うと、飼料会社は大変な損害を受けるし、酪農家は収入が減るばかりではなく、自分で廃棄物を処理するためにお金がかかる。こんなことになれば、廃棄する酪農家が続出し、国内畜産は破綻する。だから全面禁止はできないのです」
  なるほど、要するに農水省にとって最も大事なものは業界の保護であって、国民の食の安全ではないようなのだ】

  官の物の見方には、エンドユーザー=消費者にとって、「食」がどういうものなのかという視点がまったく欠落している。庶民の消費なくしては、いかなる産業も成り立ち得ない。ただ生きるために食うというのではなく、多彩な演出で人生を豊かにする――そういう提案をする飲食業があるから、多様な「食」の消費が広がる。酪農家であれ飼料会社であれ、こうした環境の中で存在意義が維持されるのだ。食えない牛を育てる企業が、社会に必要とされるだろうか。
 
  もうひとつ、中小零細ばかりが入り乱れる焼肉業界などは所詮、農協という組織票の前では、一顧だにされない存在なのだ。だが、庶民からの支持という点では、劣るところはない。
 
  遺伝子組み替え食品、環境ホルモンの影響など、今後も「食」に対する不安が顕在化する局面はいくつも訪れるだろう。リスクマネジメントの視点も含めた、業界アピールを考えるべき時かもしれない。
(KEN)

※プロフィール
KEN : ギャラとスコッチをこよなく愛する庶民派ライター。実家は焼肉屋。